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Guida alla moda  〜ファッショニスタ の お洒落手引き〜

Storia 【Episodio 002】

1970年頃、当時のVANとREGALのコラボ企画で誕生したビーフローファー

リーガルの定番ローファーと言えばレンガ色が主役級のヒット商品だが

ヴァンジャケットがリーガルに特注したこのタイプは

もっと赤みが強く陰影を出す為に墨色でグラデーションが入り

焼き色が掛かった耐火レンガ風に仕上げてあり

本家のリーガルを凌いだ逸品だった。

これを中学から高校一年迄良く履いて名古屋栄界隈をうろついていたが粋がった中高生時代は

それだけで周りから不良扱いされたから不思議だった。

このVAN-REGALビーフローファーは社会人になってからオールソールリペアして

40年以上経過したが現在も良い状態で保管中だ。

前置きはこれ位にしておいて私の物語を連ねよう。

日本の紳士服量産の幕開けは戦後の高度成長期からで1950年頃から本格的に始まった。

それ以前は欧米からの情報が乏しく見様見真似でデタラメな服しかなかったのを

ヴァンジャケット創業者でもある故・石津謙介氏がアメリカ文化や風俗と共に

ウェア類をアイビールックのVANとして世に送り出したのが初と言える。

私もVANの洗礼の直撃を食らっておりそれ以降ずっとお洒落服の虜となり

洋服愛が止まず業界に携わり半世紀が超過してしまった絶滅危惧種の一人である。

ある程度の衣服の原型が確立されてから200年以上経つ欧米ファッションの流れには

タームがありシルエットが大きくなったり小さくなったり、太くなったり細くなったり

景気や価値観の変動にも左右され派手になったり地味になったりと目まぐるしい。

近年では比較的安定感のあるブリティッシュトラディショナルやそこから派生した

アメリカントラディショナル、双方の良いとこ取りをして柔軟に解釈した

クラシコイタリアは起伏の激しいヨーロッパデザイナーズブランドよりは堅実で

私の選択してきたトラッド、クラシコ系はブレが少ないからこそ

ずっと長年携わる事が出来たのだろう。

正に伝統や手工芸に裏付けされたモノこそ王道の文化としてこの先も継承され

お洒落好きを虜にしてしまう本物なのだ。

私の衣装道楽の始まりは13歳中学二年の多感な頃、従兄からのお下がりスーツ数着が

VANやKentのモノでそれを入手したのがキッカケでお小遣いやお年玉を工面して

付帯して必要なボタンダウンシャツやソックス、ベルト、冒頭の画像の革靴を入手。

中学の分際で生意気にも大人が通う路面の紳士服VANショップに出入りしていたから

そこで店員さんやお客さんから何が必要で如何すれば大人の男の格好良さが出せるのか

何時もリアルに探っていた。鬱陶しいクソガキだったに違いない。

メンズクラブ誌が教本だったし年上の人の格好良い装いが気になって仕方がなかった。

中学の夏の制服と言えば綿ポリの白い半袖開襟シャツがお決まりだったが

それがダサく思えてVANショップで綿100%ブロード生地の生成り色

オープンカラーシャツを購入し校則違反を侵してでも着用していた。

黒のお決まりのズ・ボ・ンはストレートシルエットが嫌で

母親に頼み込んで裾幅18センチのダブル仕上げにしてもらい

腰まで下げて粋がっていたし、それにも飽き足らず丸坊主のガキが

テーラーに出向いて黒の生地を選び、股上、渡り、裾幅等の各部位を指定し

フルオーダーをてしまう恐ろしいクソガキだった。

高校一年15歳、夏のジャケットスタイル、坊主頭からやっと解放

高校生にもなるとスーツやジャケット着用でデートしたりしてたけど

同年でそんな奴が居る筈も無く傍から見れば超変な奴だったと思う。

高校入学前には学校指定の学ランをテーラーに持ち込み

それを叩き台にしてタキシード生地にも使うカシミヤドスキンを指定し

オリジナル学ランをフルオーダー、今で言うビ・スポークをしてしまう始末。

そして、レインコートやフォックスフレームの傘、コードバンの靴にも手を出しアイテム拡充。

余りの決めっぷりに通学時は何時も教員と間違えられる程だった。

徐々に並のサラリーマン以上のワードローブを形成していたから更に恐ろしい高校生だった。

筋金入りのドレスアップマンを目指しほんの初期から凄まじい勢いで収集したお洒落情報は

サラリーを手にする様になってからは急加速でお札が衣服と身の回り品に化けていった。

19歳、拘りが詰まったアイビーリーグモデル

現在の様にインターネットが未だ普及していない時代

欲しい情報がそう簡単には入手出来ず大変だった。

1958年生まれの私が洒落っ気が出てきた1970年代には

1960年代に一世を風靡したモッズ系スタイルの優等生版である

アメリカ東部八大学のエリート学生やOBのアイビールックは

1970年代には少し変化していてジャケットのフロント釦が三つでも第一釦は段返りに仕立てられ

一番上の釦は掛けれないひっくり返った遊び釦になっているのが主流となっていた。

上の画像の、釦を上二つ掛けるモデルは古着以外入手困難だったが製造を続けているメーカーを突き止め

可能な限り在庫の全モデルを購入し金融機関勤務時代はずっとピュアアイビーリーグモデルで通していた。

今でもVゾーンの狭いモデルは好みに合致していて私の基本となっている。

その後はアパレル業界に潜入した事もありアメリカントラッドの三つ釦段返りを軸に

アメリカンブリティッシュ、ピュアブリティッシュで1980~90年代を過ごし

2000年頃からはクラシコイタリア系もワードローブに加わったが

ヨーロッパのデザイナー主導のハイブランドには結局、興味が持てなかったのは

ブランド崇拝するのはお洒落ではないとガキの頃に悟っていたからだろう。

ブランドに着せられるのはまっぴら御免だからだ。

・・・Continua

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